刳りもの

うつわの作っていて面白いところのひとつは、

器になるかならないかの駆け引き。

きれいに作るを目標に掲げると、きれいにはなるけれど、

きれい=使いたいもの。に、必ずしもならない気がする。

きれいについた鑿目や、轆轤の挽き目が、使うイメージを邪魔する場合もあるし、

それなら、ランダムに付けた鑿目や、挽き目が、わざとらしいあじに感じることもある。



使いたいイメージができる器、内側の料理が盛られた器。

という漠然としたイメージをもって作ると、成形をする段階で料理が盛られた姿を

想像できる瞬間がくる。

それになるまでの詰めの手直しが、とてもたのしい。

 くりものは、荒削りまで電動工具を利用したら楽なんだろうけれど、

電動工具がなかった時代を倣い、鑿と小道具と人力で成形している。

非効率のようにも思えるけれど、人力の身体感覚が、道具を通じて器に繋がるのが気持ちがよく作れるし、今のところはそれの方がはるかに使いたい器になると感じるので、そちらを大事に思いたい。

 ものにはもののなる時間がある。

時間をかけたものがいいものとは限らないのだけれど、

よく見てあげられるものを作ることができれば、

使いたい器を伝えられることができるのではないかと思っている。


とはいっても。

自分が見えすぎて、使う人のイメージがわかない器になってしまうことも結構あるから、

器を作るのは難しく、面白いんですよ。