ものを作る責任として

ものが溢れる程にある世の中だというのに、

ものを生産していくことを生業としている自分に自問している。

大量に生産しようとは初めから考えていないし、

一貫して制作している以上は限界があるので、大量生産になることはまず起こらないけど。

効率よく生産し、際限なく広く伝えていくことに食指はうごかないでいる。


暮らしていく中で、そこで長く使っていきたいものを、

時間をかけて探し当てて、じっくり選んで、

生活に合うものかどうかを判断してもらいたいと思っている。

何かを購入する時って、その時の勢いとか、記念とか、気持ちよさなどもあるけれど。

家に帰ってから、冷静になって、実はそんなにいらなかったりするものってある。

自分の制作した器が、そのような場合もきっとあるのだと思う。


漆の器は長く使える。割れても、欠けても、剥がれても、直して使い続けることができる。

一つ気に入ったお椀があればいいのかもしれないとも思うこともある。

そんなに物はいらないとわかっていながら、だけれど矛盾しているように、

もっといい器があるのではないかと、これからも制作し探っていきたい欲がある。

ものを生産していく者としての責任がある。


これからは必要なものしか作らないということではなく、

たとえ使われないものでも、空気を、人を、これからを、豊かにできているかどうか、

素材やそれに関わる人たちを生かしてあげているのか、

自分に問いかけ続けていきたい。


と、止まって考えてみて、

真剣勝負のようなことを色々な人まで考えさせるようになりそうで、

正直しんどいことだなと。

それよりも、使っている方たちがこれからも気楽に使えるような取り組みを

考えていきたいなと思います。

どんなことか、いつ形になるかわかりませんが、

頭で仕組みを考えるのではなく、

考えながらも気楽にやっていきます。