器を作ることについて
器を作ることが好きです。
最近、器を作ることと、形を作ることは、何か別のことのように感じています。
器の木地を作る時に考えることは、
何を食べたいか、何を盛り付けたいか。
触れた時の感触。触って硬いところや、なんか嫌な感じのするところを無くす。
持った時の重さ。なんか重い気がするなどを、ちょうどいいよりも少しだけ軽くする。
同じ材種でも、木によって違いによって感じる重みも変わるなあ。
そのもののちょうど良さの重み。
食べ物を盛った時の重さのバランスを想像する。
食べる時の口触り。食べ物を盛り付けた時の余白。
持ちやすさというか、扱いにくくない雰囲気のあるもの。
使っていった時の変化を想像する。どこが擦れるだろうかとか。
その器の使う場所。家庭の雰囲気。会話。
大きさと重さの違和感を無くす。
自分のよりも小さい手の気持ちで持つ。
時には女性。お母さん。おばあさん。おじいさん。子供。赤ちゃん。
器が主張しないかどうか。偉そうではないかどうか。
まだまだ足りないくらいだけれど。
目に見えている情報よりも結構おしゃべりが過ぎるくらい対話をしたい。
お椀一つにしても、気づきたいことが多くて、
目に見えない事をたくさん考えられることも、器を作ることの楽しさだと思っている。
ひょっとしたら、
器だけではなくて仕事っていうのは、そのものからどれだけのことを想像できるか、
そのものと対話できるか、どれだけのことを気がつけることができるか、
そして気がついた違和感なりをいい方向に向かわせることができるか。
それの積み重ねなんだと思う。
毎回足りないと思うから、次こそは!と続けたいと思うし。
毎回そう十分に行くことなどはないけれど、
対話が十分にできた器は、きっと、ずっと使いたいうつわになれている気がする。
そう信じている。
宮下智吉
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