時間の支配
ハッとすることがあって、制作するスタンスを変える。
変えようと整えている。
納期や締め切りに追われ、器を作ってもいい器なんて作れるはずはなかった。
ただできるのは、その時間内の中でまとめ上げられただけのもの。
予備校の頃から、時間内に絵を描く、デッサンを仕上げる。
課題をこなす訓練をしていく中で、制限された時間の中でまとめあげるのが器用になり、
それが上手くできることが良いことだと思っていた。
でも、これをこの先積み重ねていったところで、こなすことだけ上達するだけだ。
「今回も時間内でどうにかなった〜。」だけ積み重なっていくのだったら、
器を作り、わざわざ人に伝える意味ないのではないか。自分には何も残らない。
その器を使っていただいている方にも、何も伝えることはできないのではないか。
それは使っていただく人に対して失礼になると思った。
こんなに物がありふれている中でも、未だに自分が器を作る理由として、
効率、仕事量を追い求めていかなくてもいい。
時間に追われるのはやめにする。
満足がいく一つのものを、
無駄を少なく、効率よく、量産ができることを自分は目指さずに、
やり直す時間、気づく時間、迷う時間も想定する。
何度もやり直せるように腰を軽くする。
何度も何度も、校正を重ねて綴っていく一冊の本と同じように、違和感がなくなるまでやり直す。
一つのものに時間がかろうが、そのスタンスでも生活でき、養える体制ができるように、
身体も積み重ねる。その時間を支配できるようにする。
木地を挽いて、見て、触れて、持ち上げて、
久しぶりに身体中からイメージがすごく湧いてくる器ができた。
嬉しくて涙が出た。
これを積み重ねていきたい。
そうすれば、明日はもっといい器が作れるに違いない。
それを残していきたい。
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