小人の靴屋

 イソップ童話の小人の靴屋という話を、今年になってたて続けて読む機会があった。

貧しい靴屋さんに、小人が現れ、寝ている間につくってもらう話。


靴屋には一足作るだけの材料しかなく、それを裁断し翌朝出来上がっていた。

それを売ったお金で二足分の材料が買うことができ、裁断を済ませたら、翌朝出来上がっていた。夜の間に小人が現れ、靴を作ってくれていた。

 収入が安定し、靴屋は小人にお礼にと洋服をプレゼントすると、小人は姿を消したが、

小人がいなくなってからも靴屋は繁盛したという話。


昔は、「真面目に働いていると何かいいことがあるよ。」位のことでしか理解していなかった。

偶然に読む機会が重なり、これは自分にとってのメッセージのように感じたので、少し考えてみました。なぜ小人は現れて、そして姿を消していったんだろうと?

考えてみた自分なりの回答は、

○靴屋が、一足を売ったお金で靴の材料を購入したこと。

○お礼に小人に洋服をプレゼントした。

そこが大事なことと感じた。


 もし靴屋が、一足売れたお金で、その日のごはんやお酒、身を飾るものに費やしたら、

小人はすぐにいなくなっていただろうと。

靴屋が、得た糧を、明日つくるための材料に、

自分の未来の糧に繋げたから小人はいなくならなかったんだろうと。

 安定して余裕ができた時に、小人のことを考えてお礼を送れるようになれたから、

小人はもう大丈夫だと安心して姿を消したんだろうと。


同じように、他の本を読んでいたら農夫のように生きなさいということばがあった。

自分で土を耕し、種を蒔き、手入れをして、収穫する。収穫した種を次の時期に繋げる。

それを毎日毎年繰り返す。

僕もそうでありたいと思いました。

 先日は輪島に行き、曲げもの職人さんと、下地職人さんの仕事を見学させていただいた。

輪島漆器を縁の下から支える方達。

名よりも、仕事が全面に見える職人さんに憧れる。

僕もいつかは、作家ではなく、職人と言えるように悩み進みたい。


しばらくして、師匠増村先生も初めての展示で得た糧を、

全て木地につぎ込んだという話を聞いた。

師も、靴屋と同じようだ。





宮下智吉 漆の器