書稽古

 「いろは」から書稽古を始めた。

その時のワクワクした感じを残したいと思った。


月に一度だけだけど、書稽古をしている。

たまに休んでしまってはいるものの、続けて3年が経つ。

 習い始めようとしたきっかけはいくつかあって、

・自分の名前を上手く書きたいと思ったから。

・講師として教える立場として、学ぶ身の立場になりたいと思ったから。

・一番弟子としても、兄貴分としても慕っている。筑波で教鞭を執るM先生に、

「ミヤッチは書道を習うとなんかいいかもよ」と助言をいただいていたことが頭に残っていたから。


たまたま、ご紹介をいただき展示にお出かけいただいた方が書道の先生と聞いていて、

その後、偶然にも十和田湖美術館でお会いした時に、この機会にと思いお願いをさせていただいた。

色々なご縁がつながっている。


 書の稽古は2時間で、まず墨を磨るところから始まる。

墨を磨るのに10分くらい。

 この準備をする時間が気持ちがいい。その日の体調や、姿勢、体の硬さが

墨を磨る時にわかるような気がして、書に向かうための好きな時間だ。

 当然のように月に何度も取ることのない筆なので、始めはいつも字が堅いので、ストレッチをするように筆を慣らしていく。

書稽古の空間は、清潔感があり、和やかで、少しピリッとしていて、いつもとても居心地がいい。

先生の筆遣い、瞬時に空間に配置される墨のバランスが、目で追っていると気持ちが良い。

(と、先生を褒めるのは失礼になるのかもしれないけれど。)

余白が美しくて、毎回感心する。気持ちがいい。

 お人柄や、生徒さんに対しての接し方にも感心することが多く、

また、そこの稽古に通う生徒さんからも、感心することばかりだ。


書稽古では、先生の筆遣いを真似ることを気にしている。

同じものが書けるようによく見る。

なんでこのラインを通ったのか、ここの空間が空いているのか、筆の動き。

筆の力具合。見ても見ても、圧倒的に技術も足りないので真似ができない。

先生の見えている景色。そこに筆を置いた判断を考察する。


 いつも新鮮になれるので、書道を始めた当初の名前を上手く書きたいなんて目的はどうでもよくなっていて、生活の一部になりつつある。

普段の制作中では気付けなかった視野に気付ける時間。


意識することを無意識にできるようになるというのは、制作をする上でも同じ気がする。

木を削ったら元には戻らないことと、和紙の上に墨の線が消えないのも同じ。

自分が作りたい器は、かたちを作るのではないと思っていて、

器には、自分の気配を気付かないくらいだけ残るぐらいが丁度いい。

そのバランスがとても難しいけど。

違和感に気がつける目と、違和感を自然になるように修正できる業を鍛えたい。

上手くいく、いかないではなくて、それに楽しみを感じられるのが大事なんだと思う。