山へ
22年過ごした都心から山の中へ、制作と生活の場を移しました。
周囲に気を留めずに鍛冶場も作ることもでき、木を削る音の心配もなく、
漆を塗る広い仕事場所も確保ができる場所です。
両国に構えていた木地場では、年々増える木地と道具に押しつぶされそうなくらいに
圧迫感を感じていて、マンション自宅で漆を塗るのも時間帯によっては
隣人に気を遣いながら制作をしていました。
その時に与えられた環境で、どれだけ環境を整えられるかが今は必要なのだと、
ずっと自分に言い聞かせて過ごしていました。
生活と制作環境と提案しているものが、少し離れている違和感には気がついていながら、その場でできる制作の限界を常々感じていました。
肯定化させて、誤魔化して過ごしていた気がします。
その時に読んだ本の中で、村上春樹さんの「職業としての小説家」の一文に、
〜お風呂と温泉の違い〜の喩えがありました。
〜お風呂と温泉は見た目が同じようでも、同じ温度だとしても温まり方が違う。〜
それが自分の制作する環境と当てはまるように受け取りました。
住まいを変えずに、制作も続けることはできたと思います。でも今の自分の力量ではそこで制作をしたものは家のお風呂にしかならない。
違和感を感じない制作と生活環境に身を置くことができるなら、
その環境で制作をして同じものを作ったとしても温泉のように温まり方がきっと違うと思って過ごしていました。
いつの間にか、気がついたことに無視をすることもできなくなりました。
山に身を置くことができたのは、混乱の世の中になってしまい展示も予定もすっかりなくなり、数ヶ月空白の時間ができたおかげです。
父親と、親友の深澤さんと、家族のおかげです。
とはいえ、山での生活は家に手を入れて環境を整えるのは時間も手もかかります。
今までは気付けなかった、不便さもたくさんあります。
やることが多すぎて嫌になることもあります。
でも、それよりも今のところは楽しさが多いです。
風の強さ、雨の強さ、温度の変化。太陽の動き。
街灯のない夜の暗さ、闇の怖さ、虫の来客。
不便であることで改善することの楽しさを感じ、
夜ってそういえば怖いものなんだと気付かされる。
7時以降は家から外に出なくなリました。
しばらくは制作に向かうための環境を作り、
秋から冬の展示に向けて準備をしたいと思います。
ご無理はせず、お身体を大切にお過ごし下さい。
宮下智吉
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