声援を送る

地下鉄を降りて地上に出ると、

いつもと違う景色だった。

東日本橋駅は東京マラソンの給水所となっていた。

ちょうど車椅子マラソンの後方選手が通りすぎた後で、

給水所のボランティアの方から声援がきこえた。

そこからアトリエまで歩く途中、

遠くからひときわ大きい歓声が聞こえた。

振り返ると遥か向こうの交差点を、

マラソントップ集団が、通りすぎるのが見えた。


走るために鍛えられた、ランナーのからだの美しさを見たくて、

足早にコースでもある両国に向かい、トップ集団を待ち構えた。

先導車両が遠くに見えたかと思うと、

トップ集団はあっという間に通り過ぎた。

沿道の方から声援が飛んだ。

僕も声援を送った。

声援を送ったら気持ちが込みあがって涙がでた。

声援が届いた。選手に、ランナーに届いている感じがした。

声援は届くんだとおもった。

声援を送る人でありたいとおもった。


自分の仕事と、物事を結びつけるのは変わらない癖だけれど、

自分の作る器は、表現(選手)ではなく声援でありたい。

この器でないとご飯が食べた気がしないとか、気持ちがシャンとするとか、

うれしくなるとか、ご飯が作りたくなるとか、

気づかないくらいのことでいいのだけど。


そのひとを気遣い作ったご飯が、おなかに満たされると感じるのも

同じく声援なんだと思う。

今まで自分が生きてこれたのも、出会った方たちの声援を受けていたから。

たくさんの人たちに迷惑をかけているのは、昔から進歩はないけれど。

今まで自分がいただいた声援を、今度は自分から送れるように。

元気に頑張る。